映画「ヨーゼフ・ボイスは挑発する」を見てきました。
ヨーゼフ・ボイス(1921-1986)はドイツの現代芸術家で、20世紀最大の芸術家に挙げる人も多いです。
しかしその作品は難解で、玄人筋以外には理解以前に存在も知られていません。
その理由は
①作品が意味不明
カスヤの森美術館などで作品を見ることができますが、ポスターや手紙、ドラム缶やガラス瓶など既製品にちょっと手を加えたものなど意図が分からないものが多いです。
しかも解説もほとんどないことが多いです。
②しかも毎回表現が変わる
表現が一貫していればその作家の作風なり言いたいことを解説するのは容易なのですが、毎回表現が変わるので、それらを関連付けることが難しいです。
日本でも中原浩大さんの作品などは毎回表現が変わるため、作品の面白さのわりにはあまり知名度がない気がします。
③そもそも観る機会がない
国内でそもそもボイス作品を常設展示しているところが極端に少ないです。
現在常設展示している場所は知る限りではカスヤの森美術館のみで、あとは企画展で展示されるくらいです。
今回の映画が優れているところは、ボイスは分かりやすいと強調している点です。
ボイスの作風は初期はフェルトのピアノなど彫刻(というか立体)が多かったのですが、後にアクションやイベント的な活動にシフトしていくことになります。
例えば
①観客とひたすら政治、社会問題について対話する
②7000本の樫の木を植える
③「緑の党」に参加する
などといったものがあります。
これらに共通するのは一般国民への啓発活動ということです。
作品を通して一般国民に物事を考えさせ、そのことによって社会革命を起こそうという狙いがありました。
そのような作品の一つに「コヨーテ;私はアメリカが好き、アメリカも私が好き」というものがあります。
これはアメリカに渡りながら、アメリカの都市や人々との接触を拒否し、ただコヨーテとのみ触れ合って帰国する、という一連のパフォーマンスです。
ボイスのメッセージの一つに資本主義の打破というものがあります。資本主義の象徴たる現代アメリカと接触せず、原始的アメリカの象徴としてコヨーテとのみ対話するという点にメッセージが込められています。
またボイスが大学の教授になった際には、無選考ですべての学生を入学させようとして、結果大学をクビになるという事件がありました。
この事件も既存の価値観の打破というメッセージが込められています。
同時に緑の党内で孤立したことも合わせて考えると、ボイスが指導者や政治家向けの人物ではなく、アジテーター、活動家としてのみ才能を有していたことも示していると思います。
この映画では若きボイスのナチへの傾倒も隠さず述べられています。専門家の間で神格化されたボイスですが、本作はボイスをより身近に感じることができることと、訴えたいことが分かるという意味でおすすめです。★★★
★★★生きている東京展 – 博司のナンコレ美術体験2020年9月19日 7:45 PM /
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