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日本に廃墟史はない★★「終わりのむこうへ : 廃墟の美術史」

渋谷区立松濤美術館終わりのむこうへ : 廃墟の美術史【2018年12月8日(土)~2019年1月31日(木)】を見てきました。

 

廃墟ブームはかなりピークを過ぎた感もありますが、ついに美術館も廃墟展をやる時代です。

 

人類の廃墟受容(?)の歴史を振り返りつつ、古今東西廃墟作品が一挙に見れる展覧会です。

アンリ・ルソー 「廃墟のある風景」

といっても廃墟が描かれた作品は非常に多いようで、それらの作品リストを作るだけで膨大な時間がかかりそうです。

例えばルソーのこの作品。しかしこれは廃墟というより、カリフラワーのお化けみたいです(;^ω^)

周りの樹木の平面感もあってとってもルソーチック。やはり廃墟というよりルソーです。

ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ 「ローマの古代遺跡  古代アッピア街道とアルデアティーナ街道の交差点」

そういったニワカ勢に対して、ガチで廃墟に取り組んだのがジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージという人。ローマの遺跡をテーマにした奇想溢れる版画は後世に与えた影響も巨大なものがありました。

その光景はアクロバティックな壊れ方といい、廃墟なのに妙に活気がある点といい、とてもヘンなのですが、それがゆえに皆に愛されたようです。

特に上記の作品は彫像の過剰はもはやギャグです。

 

それに影響を受けた作家は国内外にたくさんいたようですが、どれもピラネージの奇想の足下にも及ばないものばかり。特に日本作家の作品は廃墟のハの字もないものばかり。

そもそも石造りが江戸以前には無かった日本に廃墟文化なんてあるわけありません。せいぜいあばら屋文化でしょうか。

北脇昇「章表」

さらには国内外のシュルレアリスム作品が多数紹介されていますが、それらが廃墟作品だというのはかなり強引です。

ただ作品自体は結構面白いです。この作品は大戦前夜に描かれた作品で、国家が文化勲章を創設する一方、治安維持法で文化人を検挙する矛盾を表現したものだそうです。

この頃になるとコンクリート製や鉄製の建物も増え、日本にも廃墟文化(?)が根付いてきたのかも知れません。

廃墟絵画ではないですが、似たような精神構造は感じ取れます。

浜田浜雄「ユバス」

ダリの影響を受けたという作家さんです。

ダブルイメージの手法はダリに近いですが、ダリほどのケバケバしさはないです。

 

大岩オスカール「トンネルの向こうの光」

今回最大の作品である大岩オスカール氏の絵画です。

キャンバスの中央のトンネルの先は、くり抜かれて描かれていません。

無限の可能性がある、とでも言うのでしょうか?

元田久治「Foresight Shibuya Center Town」

ピラネージと並んで、ガチ勢の元田氏。

渋谷の作品は新旧2点も展示されていました。

渋谷はもともと川底だし、巨大怪獣にもしょっちゅう壊されるし、現在も都内で最もスクラップ&ビルドが激しい場所でもあります。

考えたらこのテーマにこれ以上相応しい会場もないかも。

看板だらけなので、それらが変わるだけで街の表情が一変します。

野又穫「波の花」

一方、野又氏のこの作品も明言されていませんが109や東急プラザを思わせる建物があり、やはり渋谷を感じさせます。

タイトルは東日本大震災を受けて描かれたからです。

画面からは廃墟的なイメージは一切感じられず、野又氏の当時の心境が伺えます。

野又穫「交差点で待つ間に」

こちらも同年に描かれた作品。ピラネージの影響を明言しており、大通りの手前の建物(?)はそのオマージュと思われます。

バラバラのデザインの建物がガランドウのまま立っている様子は、阪神淡路大震災から復興した三宮を思わせます。

カラッポの広告は自粛のイメージか、それとも広告などない方が美しいという野又氏の主張か?

 

廃墟展といいながら、廃墟の重要作家がかなり欠けている印象です。森美術館の「カタストロフと美術のちから展」のほうがよっぽど廃墟してます(あちらとは資金の規模がダンチですが・・・)

また敢えてかもしれませんが、廃墟展と言いながら建築家が一人も出品してないのも違和感を感じます。

しかし日本のシュルレアリスム作家や元田氏、野又氏の作品がある程度まとまって見れるなど、見ごたえは結構ありました。★★

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