「評伝フィリップ・ジョンソン」を読みました。
アメリカの建築家、フィリップ・ジョンソンは99歳まで生き、生涯何度もスタイルを変え、建築以外に美術館等の仕事も多く、多くの弟子を抱えて建築界に絶大な影響力を持ち続け、法王としてふるまった人物です。
毀誉褒貶の多い人物だけにその評価には紙幅を要するらしく、500ページ以上あります。
論調は批判と評価が3対7といったところで、才能は認めるが、軽薄な性格や数々の著者が考える失敗作の建築には容赦していません。
若いころの学校の評価書には「非常に高い理想を持っているが、それを実行に移すことにはやや無頓着である」とあったそうです。
ある人格テストで自身の性格を示す特徴として、独裁的、辛辣、自惚れ、威張りたがり、口うるさい、臆病、冷酷、嘘つき、無責任、不寛容、未熟、気分屋、日和見主義、偏見的、皮肉屋、非友好的というものを上げています。
傷つきやすく、若いころはそのために何度も転向し、老いては道化を演じることでその攻撃の刃を躱していました。
その道化ぶりは徹底しており、自らの姿ですら、ル・コルビジェ風の丸メガネをかけて、パロディとして演出していました。
また生涯にわたって非常に幸運で、しばしば破滅的な行動を取るにも拘らず、周りだけが傷ついて自身のみが無傷ということを繰り返しました。
ちなみに隈研吾はフィリップ・ジョンソンのことを著書の中で「建築の神様」と呼んでいました。
ジョンソンが若いころニューヨーク近代美術館のキュレーターとして働いていたのは有名です。
この頃に手掛けた展覧会は近代建築展や・・・
機械美術展が有名です。
近代建築展に関してはここで多くの有名建築家と知り合いになり、特にミースとはのちに彼の代表作で協働することになります。
しかし個人的に面白いと思ったのはフランク・ロイド・ライトとの関係です。
ジョンソンはライトの建築を好んでなかったし、時代遅れだと思っていました。
しかしアメリカで建築展をやるにあたってライトを無視するのは無理があり、ジョンソンは低頭して尊大なライトに展覧会に参加してくれるよう懇願します。
このライトのジョンソンに対する高圧的な態度(ライトは誰に対しても高圧的ですが)は後々まで続き、例えばライトはジョンソンの追従についてこのようなコメントをしています。
「フィリップよ。もし君が私のことを偉大な建築家と考えるのであれば、君の作品はもっと私のものに似てもよいのではないか?」
もっともジョンソンも後の作品にはライトの影響を感じるものもあり、子の巨匠との会話を楽しんでいたのかもしれません。
機械美術展も展示作品を一般家庭でも購入可能なことを示すなど、芸術を大衆に開くものとして重要でした。
一方、美術館のコレクション形成にも大きな役割を果たしました。
ジョンソンの選美眼は確かなものがあり、美術館の展示もジョンソンが買ったもの無くしては成り立たないと言えます。
一方その職権を濫用して作品を指摘に安く買いたたくことも多くありました。
このような輝かしいキャリアを若くして築いていましたが、突然辞職。兼ねてから傾倒していたナチズム的政治活動にのめり込むことになります。
この頃の活動は生涯ジョンソンのイメージについて回ります。
ナチズムの夢が冷めた後、ジョンソンは大学で初めて専門教育を受け、徐々にキュレーターではなく建築家の道を歩むことになります。
ジョンソンの代名詞であるガラスの家も最初期に作られた自邸です。
しかしこの代表作ですら、師匠のミースのアイデアを盗んだものとされています。
しかしジョンソンの場合、実際にこの家に住んでいたこともあり、ガラスの家はマニフェストであると同時に彼の目立ちたがりの性格をも表しています。
このようなデザインのパクリは生涯続き、本書のオビにも書かれた独創性なき天才という評価につながります。
その後の代表的な仕事はミースのシーグラムビルをジュニアパートナーとして手伝ったことが挙げられます。
ブロンズ製という非常に高価なビルではありますが、外観は今日では普通のものに思われます。
これはそれだけガラスのカーテンウォールという表現が広く受け入れられたからでもあります。
またビルの前を公開空地にするというアイデアも世界中で真似されています。
このシーグラムビルの仕事が認められたのか、60年以降は公共建築を多く手掛けるようになります。
著者はこの時期の最良の建築をニューヨーク州立劇場としています。
ジョンソンの美意識が良く表れており、ニューヨークの最良の空間の一つとしています。
それ以外には僕はシェルドン美術館が面白いと思いました。
ベージュの壁に天井の照明の形状がコートボタンそのもので、何故か衣服を思わせます。
ニューヨーク州立パヴィリオンも異色の建築です。万博で使われた建築ですが、メンインブラックなどSF映画でもロケ地に使われました。
ちなみに万博の外壁の装飾もジョンソンの担当です。
友人のアンディ・ウォーホルの作品は犯罪者の顔をテーマにしたもので、物議を醸しだしました。
ボブスト図書館も面白いと思うのですが、著者の評価は低いようです。
確かに外観は面白みに欠けますが・・・
その考えが自邸の彫刻ギャラリーに現れているとしています。
どんどん地下に潜っていく建物は穴にこもって次の風邪を待つジョンソンの心境を表わしています。
この時期、名士建築家として都市開発にも多くかかわっています。
エリス島、ペンシルヴェニア駅、グランドセントラル駅などの保護運動に関わりますが、自分が建築するチャンスが来ると容赦なく古い建物を壊して景観を台無しにするのはジョンソンの真骨頂です。
この一連の仕事でルーズベルト島は成功している気がします。
デザイナーやキュレーターとしての才能はあっても、ビジネスや施工管理のセンスが壊滅的になかったジョンソンですが、ジョン・バーギーというビジネス建築家をパートナーに迎えたことで、大規模な建築が作れるようになります。
その皮切りになったのがミリアポリスのIDSセンターです。
ステップバックデザインがユニークで、クリスタルコートと呼ばれる足元のアクアリウムが特徴的です。
この成功を元にジョンソンはアメリカ中に高層ビルを建てます。
これら一連の高層ビルの代表作がAT&Tビルです。
当時世界一の大企業だったAT&T社が世界一のビルを作ろうと計画したもので、ジョンソンが同社の質問書を投げ捨てたことから受注に至ったという伝説があります。
御影石を外壁に貼っているので非常に重く、非常に高価なビルになっています。
この古典を参照した表現は東京都庁との関連性も感じます。
天井が無駄に高く建物の高さの割に階数が少ないのも特徴です。
このビルは完成する前にAT&T社が縮小して同社は受け取れず、ソニーが購入しソニービルになりますが、2016年に売却、550マディソンアベニューとさらに名前を変え、現在は空き家になっています。
これはジョンソンの責任というより、アメリカがそれほど豪華なビルを必要としなくなったという所作だと思われます。
再開発の話も持ち上がりましたが、2018年にポストモダンの遺産として保存されることが決定しました。
この時期に立てた高層ビル以外の建物としてクリスタルカテドラルが挙げられます。
著名なテレビ伝道師のために作れた教会で、コルビジェの教会などと比べて明るすぎてつまらないと思われますが、徹底した影のない世界観はこれはこれで面白いです。
ジョンソンの最後の大口の顧客がドナルド・トランプだったというのは象徴的です。
トランプが欲しいのはジョンソンのサインの入ったビルだけであり、むしろジョンソンの空虚さがトランプを惹きつけたのかもしれません。
ニューヨークのトランプタワーもジョンソンのIDSセンターをパクったものとされており、このパクり癖以外にも、両者は親の遺産で金持ち、目立ちたがり屋、ゴシップ好き、幸運児など多くの性格や特性が似ています。
トランプがジョンソンを讃える言葉も縁起がかっています。
「おお、フィリップよ、なんたる光栄、なんと偉大な紳士、それはそれは偉大な男、そして君のベストの仕事はまだできていないのだ、その多くは私の建物なのだから」
フィリップ・ジョンソンを学ぶことは現代建築界を学ぶ上で大きな意味があると感じました。★★★
世界のアーティスト250人の部屋 – 博司のナンコレ美術体験2022年10月23日 9:06 PM /
[…] 同じガラスの家でもフィリップ・ジョンソンやミースのそれとは違い、2階部分がガラスになっているので現実感があります。 […]