フィルムアート社発行の「キュレーションの現在」を読みました。
展覧会を見ていると何を意図して行われたのか分からない展覧会に遭遇することはありませんか?特に難解な現代アートの展覧会は鑑賞者置いてきぼりの意味不明なものも散見されます。市立美術館やギャラリーはともかく、公費で成り立つ公立美術館なら最低限地域一般国民に貢献する展示を心掛けてほしいものです。
そこで展覧会を企画する人(=キュレーター)が何を考えているのか知るための本を紹介したいと思います。
といっても現在展覧会の企画は本職の美術館学芸員だけでなく、アーティスト、評論家、小説家、自治体職員など様々な人が行っています。特にここ数年大量の芸術祭が全国津々浦々に量産され、展覧会はむしろ玉石混交が進んでいるように感じます。
本書でも様々な立場から現在のキュレーション活動について述べられています。数々の具体例から優れた展覧会とはどういったものかが見えてきました。3つのタイプに分けて考えました。
よく称賛される東谷隆司氏の「時代の体温」、椹木野衣氏の「日本ゼロ年」、中原佑介氏の「人間と物質」などがこれに当たります。
もっとも当時を体験していない僕からすると、後に有名になった人物が、同じく後に有名になった作家を紹介した、という以上のことは感じません。陶芸や
そこでもっと時代を下って考えると、例えば土屋誠一氏企画の「反戦 来るべき戦争に抗うために」展が考えられます。
同展は2014年の集団的自衛権の行使容認を受けて企画されたものです。今回の事象を太平洋戦争と同列に捉える土屋氏の考えには賛同しかねますが、世論の盛り上がりに美術の専門家として回答した点では意味ある行動でした。
一方、東日本大震災を受けての展覧会も多く企画されました。あいちトリエンナーレ2013では五十嵐太郎氏が愛知芸術文化センターの吹き抜け空間を福島第一原発に見立てた展示を企画しました。
また芸術家の荒川医氏はロンドンフリーズにて福島産の野菜を使ったスープをふるまうというパフォーマンスを行いました。
does this soup taste ambivalent(2014)
このようにアートは「前衛」として現在、および未来の問題を考えるきっかけを与える役割があり、キュレーターもそこに向けて刺さる企画を考えます。
一方で忘れてはいけない過去を思い出させる力もキュレーションにはあります。
水と土の芸術祭2012では藤井光氏は水俣病についてのドキュメンタリー作品「わしたちがこんな目にあって、あんたたちは得をした」を発表しました。
祝祭的な催しにおいてここまでストレートに負の遺産を扱うのは珍しいことです。
他方、島根県立石見美術館では「話芸の神様」徳川夢声の生誕地であること、劇場との複合施設であることを利点として美術館で演奏に合わせて活弁でギャラリートークを行うという企画を行いました。
古い歴史を持つ我が国では、全国どの地域でも個性あふれる歴史があるものですが、それを伝承していくことは簡単なことではありません。その伝え方を考えるのもキュレーターの役割です。
河原温氏の純粋意識シリーズは氏が死後も続けられているの「日付絵画」を幼稚園に飾るというプロジェクトです。
作家性が否定された絵画を、鑑賞することを意識しない幼稚園児に見せることにより、園児の潜在意識にのみ訴えかける試みです。
たとえ作品が残らなくとも、人々の記憶に強く残り語り継がれることこそ、真に優れた展覧会だと言えます。
逆説的ですが、もう無くなってしまったキリンプラザ大阪で行われた数々の展覧会や、おそらく再現不可能なラブホテル「メタリアスクエア」で行われた「中村と村上」
キリンプラザ大阪はギャラリーとしては使いにくい空間だったそうですが、そういった部分を含めたバブル期しか持たない儚いデザインだからこそ、新しいアートが集まったのかも知れません。
展覧会の裏側を考えるのに優れた本だと思います。ナンコレ度★
式神自然数2020年7月16日 5:08 PM /
≪…園児の潜在意識にのみ訴えかける試み…≫ で 絵本 「みどりのトカゲとあかいながしかく」 と 「もろはのつるぎ」 (有田川町ウエブライブラリー) の 併覧で どんな≪潜在意識≫が・・・