21_21 DESIGN SIGHT で開催中の「野生展:飼いならされない感覚と思考 」(2017年10/20-2018年2/4(日)を見てきました。
入り口前のポスターのナマズっぽい生き物もポスターからはみ出て野生っぷりを表現してます。僕も畑からはみ出て生えたスイカや大根を見ると「お、野生だな」って感じます。
今回の企画の目玉はディデクターを思想家で人類学者の中沢新一さんが担当していることです。今のところ僕の中沢さん体験は「アースダイバー」だけです。
この本は東京の地政学を扱っています。その内容は例えばこんなものです。
・東京の低地部分は昔海の底にあり、坂の上は岬になっていた。昔の人は海の向こうはあの世とつながっていると考えたので岬に墓を立てた。これが今の日暮里、芝、青山などで、現在その上に立つ大学、ファッション街、タワーなどはその霊的影響を受けている。
・新宿や渋谷は高地のハイカルチャーと低地のサブカルチャーが混ざり合い、魅力的な町が形成される。
このような内容から中沢さんは学者というより話のうまい怪しげな魅力を放つ山師、といった印象でした。今回の展覧会でもその魅力が発揮されているか、期待して観に行きました。
野生ということで中沢さんが大きく取り扱っていたのが南方熊楠です。
熊楠は大英博物館で喧嘩したり、家ではほとんど裸族だったり野生というより奇人として知られています。ただジャンル横断的な研究は中沢さんとも共通してますね。2007年にはワタリウム美術館でも個展が開かれました。研究対象の粘菌というのも予測不能な動きは人間には制御不能で、まさに飼いならせない野生です。
ただそういった小難しい理論よりも、中沢さんが興味をもって集めた品々が魅力的で、おもちゃ箱をひっくり返したような魅力に溢れています。以下その中でも特に見てほしいものをピックアップしてみました。
南方熊楠のいう「縁起」を視覚化したという作品。普段は球の中に周囲の光景が写り込んでいますが・・・
作品内に人が入ると、神経細胞が電気信号を受け取ったときのように、目まぐるしく映像が変化します。
神経細胞のダイナミックな動きを視覚化した作品です。
顔から妙に知性を感じる粘土彫刻です。
人類の制度化された知性に疑問を投げかける、野生の知性を感じます。
モクレンの未成熟の種をキャンバス上に固定し、獣の姿を描いています。
一本一本に個性を感じます。
田島さんは絵本作家ですが、越後妻有や瀬戸内の芸術祭で美術館をオープンしており、今芸術界で一番有名な絵本作家ではないでしょうか。
自然物を画材に使った作品は他にも色々作っているみたいです。
かわいいが野生とは正直よく分かりませんが、カエルは縄文土器にも描かれており、古代から神聖な生き物とされていたそうです。その後鳥獣戯画などを経て薬屋の店頭に並んだケロちゃんが最終進化形態だそうです。意図せず進化したということで野生なのでしょうか?
日本の玩具やふくものは底抜けのノーテンキさを感じます。これらが神の姿をあらわしているのだというのだから、日本の宗教文化そのものが野生です。
そしてそのノーテンキさはハローキティにみごとに受け継がれています。
キティちゃんのボディ消失および虐待問題は全国規模です(笑)
一見古代の樹木の化石のようですが、なんとこれは明治時代の北海道土産の熊の彫り物です。
この角度から見れば、かろうじて前足を起点に熊の身体全体を想像できます。
クマの彫り物と言えば一般的には、
こういうのをイメージしますが、中には高度に抽象化を目指した名人もいたようです。
さっきのかわいいにも通じますね。細い目などの表情は円空仏にも通じます。
ところで結局中沢さんのいう野生って何なんでしょうか?これらの共通点は従来の絵画や彫刻からはみ出た美術品ということでしょうか?でも野生の美術って人それぞれあると思います。アールブリュットが野生だと言う人もいれば、野獣派やアンフォルメルに野生を感じる人もいると思います。ただ野生ということをキーワードに世界を見ると、まだまだ開拓し甲斐がある領域がたくさんあることに気づきます。中沢さんはそのことを一番言いたかったのではないでしょうか?ナンコレ度★