八王子市の「集合住宅歴史館」に行ってきました。
戦後、団地をはじめとして住宅を大量供給し続け、「世界最大の大家」とも言われる都市再生機構(略称・UR 前・日本住宅公団)の歴史を知ることができる展示施設です。
元々は住居を建てるにあたっての様々の実験を行う施設でした。しかし現在は戦後の住宅難が既に解消され、民業圧迫にもなるため、URは改築のみを行い、規模を縮小しています。個々の施設も規模を縮小しており、現在見学できるのは3施設です。
「居住性能棟」はバリアフリーや防音の実験施設を持ちます。特にバリアフリーは車いす向けのキッチンや自宅介護向けの内装が変更可能な住宅などを提唱しています。
同じく「KSI住宅棟」もあとから内装のレイアウトの変更が容易な住居を提案しています。
この建物自体もKSIの考えに基づいて建てられており、11階の高層マンションと同じ強度を持っています。
KSI住宅(機構型スケルトン・インフィル住宅)とは柱、床、梁のみで建物を支えることで壁の位置を自由に変えることができ、レイアウト変更を簡単にできる住宅のことです。
さらに共用廊下の一か所に給排水の立ち上げ下げをまとめたり・・・
コンクリの下に貼るだけの極薄のケーブルなどを用いて、さらにレイアウト変更を容易にしています。
給排水の設備も自由に位置を変えられるので、真ん中に風呂、トイレを持って来るレイアウトや・・・
給排水を玄関側に集めることで奥の部屋を天井高のある直床にすることもできます。
そしてメインの展示である、「集合住宅歴史棟」は戦前戦後の6つの集合住宅の一室を移築しています。
始めは関東大震災後に発足した同潤会のアパート。壁面には16か所すべての同潤会アパートの模型が勢揃いしています。
中央は現在代官山アドレスになっている代官山アパートです。
移築されているのはその代官山アパートの独居用と家族用の2部屋。独居用は部屋外にトイレと水道設備があり、室内には湯沸用のガスの栓が一つあるのみ。
実際に触って体験できるのが歴史館の特徴。
ちなみにこの独居用は戦後は管理ができなくなり、家族で無理やり住んだり、部屋の中央に風呂釜を置いたり勝手な改造が進んだようです。
こちらは現在と同じふろ、トイレ、台所がすべてそろった家族用。
家具類も当時のものを展示してあります。
こちらの箪笥などは引き出しの密封性が高いせいで、片方を開け閉めするともう片方が開いてしまいます。当時の職人のレベルの高さを思わせ
お次は一気に時代が30年下って1957年の蓮根団地。日本住宅公団が供給した最初期の住宅で、人々が思い浮かべる懐かしい団地のイメージに一番近いです。
歴史館で最初に見れるDVDに出てくる団地(ひばりが丘団地・1960年)や松戸市歴史博物館に再現された常盤平団地(1962年)にも似ています。
当時電球のソケットの数で電気代が計算されていたことから生まれた玄関とトイレを両方照らせる両面灯です。
こちらは長屋型ですべての住戸に専用の庭をつけた多摩平団地です。
2階ごと移築しています。
前川國男が設計したことで有名な晴海高層アパート
各部屋の生き方を説明したボード。共用廊下が2,6,9階にしかなく、それ以外の階の住民は前後の階までエレベーターで昇り、その後1階分階段を上がり、または下がる必要がありました。
この設計だと2階の住民は3階に上がってから2階に下がる必要がありあまりにも不便、との声があり、2階専用の階段が増築されました。
サイロ(肥料倉庫)をイメージしたこの階段塔も前川氏デザインです。
こんな設計になっているのは共用廊下を減らして室内空間を広くとるため。展示では共用廊下がある階とない階の両方を移築しています。
まずは廊下がない階。玄関はそのままベランダにアクセスできる珍しい設計。
室内は障子の上にガラスを嵌めたり、通常壁の中に隠す配管をむき出しにしたりして部屋を広く見せる工夫が満載です。
和室は特注の縦長の畳が特徴です。
このようになっているのは正方形の障子のマスを最小単位として、その倍がガラス窓の縦幅、その倍が畳、障子、襖の短辺・・・というようにル・コルビジェのモジュールに考えを実践した結果だったそうです。
東洋陶器(現・TOTO)の高級便器。汚れが目立たないように黒っぽい木製の便座を使っています。
サンウエーブ工業株式会社(現在は株式会社LIXILに吸収)が長年の研究の末に量産に成功したステンレスキッチンがこのアパートで初登場。
この生産までのエピソードはプロジェクトXでも紹介されました。
これもUR初のエレベーターに乗って、廊下ありの階へ。
現在の感覚からするとかなり広めな共用廊下。これはここで井戸端会議をすることを想定してたそうです。しかしここで当時流行したローラースケートで遊ぶ子供が多く、危険だったとのこと。
ところでこのアパートは各階ブロック壁になっています。
これは建物が将来の用途変更に備えて3層一体のメガストラクチャー、つまり3層の間の床、壁を取っ払っても強度を保つ設計にしているせいです。
ブロック壁になっているのは容易に壊せるようにするためです。
3層吹き抜けにすればダンスホールなどの転用も可能、と考えたようです。
しかし銀座にほど近い超一等地に9階のアパートがいつまでも建っていられるはずもなく、反対もありましたが1997年に解体。跡地は晴海アイランド トリトンスクエアになりました。
かなり不便な場所にある上に平日のみオープンという施設ですが、思った以上に濃密な内容でした。★★★