山本豊津さんの「アートは資本主義の行方を予言する 」を読みました。
銀座にある東京画廊の代表である山本豊津さんの著書です。タイトルから経済学の本かな?と思いますが、それについて書いてあるのは基本始めのほうだけで、ほとんどは東京画廊の歩みを振り返った、普通のギャラリストの本です。
豊津さんは2代目の世襲ギャラリストで、東京画廊の全盛期は先代の50~70年代ごろになります。
日本初の現代美術ギャラリーである東京画廊は、そのころキャンバスをナイフで切り裂く表現で有名なルーチョ・フォンタナや、
青い塗料を塗った女性を白い布で転がして描くイヴ・クライン、
オーストリアにある歪んだ家で有名なフンデルトヴァッサーなどを世界に先駆けて紹介します。
その後は「もの派」の理論的支柱となった斎藤義重の紹介に始まり、
今日ではヴェルサイユ宮殿で個展を開くようになった李禹煥ら「もの派」の面々を紹介します。
「もの派」以降はオリジナルの漢字を大量に発明した徐冰個など中国、韓国の作家を紹介するようになります。
山本さんは「もの派」を「脱西欧」とみて日本的と見ています。その理由が作品を構成する「素材」「コンセプト」「技術」のうち、「技術」を捨てたこととしています。が、これは理論としてはいかにも弱い気がします。むしろ西洋にキャッチアップしようとし続けた日本がついに西洋以上に西洋らしくなったのがもの派なのではないでしょうか?その証拠にもの派は国内外の専門家に高く評価される一方、一般の日本国民を現代アートから遠ざける要因になりました。
80年代以降は東京画廊に代表される西洋的価値観に反発する形で若い画廊が登場しました。80年代は川俣正などを紹介したアートフロントギャラリー(代官山)、90年代は村上隆、ヤノベケンジなどを紹介したレントゲン藝術研究所(大森)、2000年代は会田誠などを擁するG8(市ヶ谷)が台頭してきます。
今日銀座には最先端の画廊はほとんどなく、残っているのは昔ながらの油絵のインテリアアート系画廊と、資生堂ギャラリー、メゾンエルメス、ギンザグラフィックギャラリー、G8クリエイションギャラリーなど企業系のギャラリーのみです。
東京画廊も銀座のにひっそりとあるのみで、寂しさを感じます。もっともこのような西洋キャッチアップ型の画廊があったからこそ、後進の画廊が育った面もあるとは思いますが・・・