原田マハさん、高橋瑞木さんの「すべてのドアは入り口である。」を読みました。
想像がつく通り、アートの入門書です。しかし紹介されている作品がかなり過激で、物議を醸したものが多いので侮れません。
特に政治的な話題が多かったです。例えば女性同士の対談本ならではのフェミニズムについて。
ニューヨークのブルックリン美術館に展示されたジュディ・シカゴの「ディナー・パーティー」は正三角形上にテーブルと食器が並んでいます。それぞれの席には過去の女性の偉人に割り当てられており、手芸など当時美術と見なされなかった女性の手仕事の作品が並びます。
他にも女性器を描いたクルーベの「世界の起源」や、観客に服をどこでも切らせるオノ・ヨーコの「カット・ピース」など、結構即物的な作品が並びます。
「第三のドア」では現代アーティストが15人紹介されます。これらは言ってしまえば彼女らが過去に展覧会で関わった人が中心なのですが、それだけに結構偏ってて面白いです。ウォーホルやボイスが入ってるのは当然として、ハンス・ハーケや高嶺格が入ってるのは珍しいです。
いずれもポリティカル・アートを評価しています。ハーケはヴェネチア・ビエンナーレでドイツ館の床を破壊した作品で有名です。これはベルリンの壁崩壊3年後の作品で、極めて強いインパクトがあったことが想像されます。他にもMOMAでロックフェラー財団がベトナム戦争に関わることについてどう思うか投票させたり、グッテンハイム美術館でグッテンハイム家とかかわりの深い富豪の不動産の売買を調べて作品化しようと、展覧会がキャンセルされたりしています。毎回作風が変わり、また問題作過ぎて発表できないことが多いのも特徴です。
一方高嶺格は東日本大震災以前からエネルギー政策に深い関心を寄せてきました。「スーパーキャパシタ」は日本独自技術の蓄電池ですが、性能の割には政治の関係であまり利用されませんでした。それをそのまま自身の個展で宣伝したものです。
他にエリアソンのところでは彼が研究所を設立し、自然現象を本格的に研究している点を評価しています。単純な作品ですが、表面化している作品の裏には見えない深層部分があり、それが深いほど良い作品となるとしています。これはハーケの実現化しなかった作品にも共通します。
シンディ・シャーマンはやはりMOMAの醜いセレブに扮した写真作品を紹介しています。彼女の作品をそのように紹介している本は初めて見ました。
15人のアーティストの他にも、レモンを敷き詰めた廣瀬智央や、死体の写真作品のアンドレ・セラーノなど、インパクトの強い作家が紹介されます。
奈良美智はアートの敷居を下げた点を評価しており、また抽象画は古代の土器にも刻まれているので実際には具象と同時に発生したなどとし、斬新な視点で語られています。
入門書でありながら、タイトル通り数々の新しいドアを得ることができる良書です。★★★