国立新美術館(乃木坂)の「安藤忠雄展―挑戦―」《2017年9月27日(水)〜 12月18日(月)》を見ての感想、➀野望編に続いて第二弾です。
安藤忠雄展のセクション3「余白の空間」に限らず、複数のセクションに渡って展開されていたのが、地下に埋めるタイプの建築です。
地中美術館のように純然たる地下施設型もありますが、例えば、蓮の池の真ん中から地下に降りていく「本福寺水御堂」や、
展示室に窓が全くなく、どんどん地下に降りていく動線がとられている大阪府立近つ飛鳥博物館など、
建物が地上に出ているにも拘らず、強く地下を感じさせる施設が数多くあります。
この安藤さんの地下への拘りは、「外界をシャットアウトして空間を完全にコントロールしたい」という考えがあるからです。プロボクサーでもあった安藤さんらしい非常に男権的な考え方です。
そもそも建築家は空間を完全に自分だけでコントロールしたがるものです。例えば丹下健三さんの東京都庁は、議会棟と本棟を結ぶ渡り廊下で外側に抜ける視線をシャットアウトし、無理にでも都庁だけを見るように仕向けるよう設計されています。
安藤さんはより完璧な形でこれを実現したことになります。
建物を完全に地下に埋めてしまったように、安藤さんは誰でも思い付くが、色々な抵抗があってできないようなアイデアを力技でやってしまうところがあり、そこが大きな強みになっています。
このような過剰性は安藤建築の特徴になっています。例えば壁面を本で埋め尽くしたり、
階段だけの建物を作ったり、
地層をまるごと保存できる施設を作ったりと、あらゆる手法で我々を驚かせてくれました。
これらの過剰性と、それとは逆に教会建築などのミニマルな表現がエライ建築家のセンセー方の目にとまり、安藤さんは90年代から2000年代にかけて、各種の建築賞を総ナメします。
これらの3つの賞は、2020年東京オリンピックの競技場設計コンペの応募条件として、いずれかを取っていることが条件と提示されたものです。そしてこれら3つをすべて受賞したのは現在まで安藤さんだけです。アウトサイダーであるはずの安藤さんは生きている建築家の中で一番偉い人になったのです。
ここで安藤さんが過去の栄光を投げうって、全く新しい表現に挑戦していれば、彼は現役最強ではなく、史上最強の建築家になっていたと思われます。自ら確立したモダニズム様式を投げ捨て表現主義に回帰したル・コルビジェや、
遺作に展示室が全部スロープの美術館を作ったフランク・ロイド・ライトはそれをやりました。
しかし安藤さんががその後やったことは自分のブランドイメージの維持だけでした。
東京にある安藤建築群を見ると、頂点をきわめた後の安藤さんが何をやったかよく分かります。そこにあるのは洗練された、しかしどこかで見たような安藤建築のセルフパロディに過ぎません。地下空間のための地下空間、コンクリート打ちっぱなしのための打ちっぱなしといった事務所スタッフの考えた安藤っぽい建築を量産するだけのマシーンに、安藤さんはなってしまったようです。
かつて丹下健三さんは都庁の近くに、「新宿パークタワー」を建てました。これは同じく丹 下さんの設計した「新宿第二庁舎」にそっくりです。アイデアの枯渇した丹下さんは自分で自分のパロディを作るしかなかったのです。
アウトサイダーを気取っている安藤さんですが、今では安藤さんこそ建築界の権威そのものです。そして丹下さんも安藤さんもそのデザインよりも優れたプロジェクトマネージメントによってビッグになっていった人です。この辺りが安藤さんの限界であると、強く感じさせる展覧会でもありました。
ナンコレ度★