竹田 直樹さんの「アニメの像VS.アートプロジェクト―まちとアートの関係史」を読みました。
町とアートの関係史を扱う100ページほどの小冊子ですが、アートプロジェクトとアニメの像を連続するものとしてとらえているのが特徴です。
本書によると、日本における町とアートの関係は以下のような経緯をたどります。
国が国威掲揚のために、指定した人物の銅像を指定した場所に作るというものです。場所があらかじめ決まっているため、実はサイトスペフィックなアート作品です。多くが戦時下の銅鉄供出の対象となり、残っていた重要軍人の像も戦後GHQの命令によりほとんど破却されました。ただ戦後復活したものもあります。
戦後軍人像に代わって設置された無名の裸婦像。裸婦なのは戦前の武装した軍人からの揺り戻しで、無抵抗を選択した日本人の精神性を表している気がします。
60年代に入ると特定のイデオロギーに囚われない、アートのためのアートというべき現代彫刻が登場します。各地の地方自治体も資金を援助しますが、観光としての性格はまだ弱く、また場所とも無関係な作品が多いことも特徴です。日本の好景気と工業化の勢いに乗った、非常にお値段が高い作品が多く、この時代の彫刻は今見てもレベルが高く、また巨大なので見ていて満足感を覚えます。
北川フラムさん主催の「ファーレ立川」は場所を指定して作品製作が依頼されるだけでなく、作品とその土地にあるビルや構造物と高度に一体化し、もはや分離不可能になっていることも特徴です。
またアーティストの発想が公園として実現したのもこの時代です。
安田侃の「アルテピアッツァ美唄」などが次々に実現しました。
上記のような恒久設置ではなく、あくまで一時的な仮設アートの設置を行うのが現在の流行です。
今年回顧展があったコマンドNのように、情報の受け渡しさえできれば物質としての作品は必須ではないのも特徴です。モノに頼らないのは強みであるとともに、終了後何も残らないという弱みもあり、当然作品がどこかに収蔵されることもありません。なのでこれらのアートプロジェクトはメガヒットした瀬戸内国際芸術祭など数例を除いて、経済的には極めて脆弱です。
この経済的脆弱さを克服しているのが一連のサブカルチャープロジェクトです。
単にアニメの立体像を立てるプロジェクトのみでなく、アニメを間接的に利用した作品でさえ、そうでない作品より遥かに大きな影響力を及ぼしています。
このことは現代アートが何が足りないのかを如実に語っている気がします。
ナンコレ度★