今回は東京都世田谷区のM2に注目してみたいと思います。
最寄駅は千歳船橋。世田谷美術館から歩いていくこともできます。
M2とはマツダの子会社の社名ですが現在は解散しています。ビルは現在葬儀会社のメモリードが入居しています。メモリードの東京2号店なのでM2のサインはそのまま残りました。
設計は隈研吾氏。
新国立競技場の設計で有名ですね。
不可思議なデザインは中央が古代ギリシャのイオニア式の柱で、その左に最新式、右に古典式の建築様式を貼り付けています。
このころはポストモダンという建築様式が流行っていました。これは過去から未来のあらゆる建築デザインを全く脈絡なく流用するという手法です。磯崎新「西日本シティ銀行本店」
例えばポストモダン建築の代表選手、磯崎新氏設計の西日本シティ銀行本店はインド砂岩の外壁、巨大化し建物からはみ出た梁と柱、大理石のエントランスなどが何の脈絡もなく使われています。
隈氏はこのポストモダン様式を批判的に用い、本建築を設計しました。なので当時この建物は建築界では評判が悪かったようです。
しかし、隈氏は本当に批判するためにこのようなデザインにしたのでしょうか?
特徴的な頭頂部はランドマークになるとともに、合体ロボットの顔のようにも見えます。またクライアントのマツダが扱う車の車輪のようにも見えます。
内観を見ていきたいと思います。上記は竣工当初のM2入居時のものです。
中央柱の中はエレベーターシャフトになっており、自然光を入れるアトリウムの役割もありました。装飾や手すりに遮音壁やガードレールなど道路関係の建材が使われています。
竣工時のホールです。階段は飛行機のタラップです。
同じホールが現在は葬儀場になっています。
設計の随所に隈氏の古代から最先端までの建築様式や素材への関心が表れています。特に古今東西様々な建材を用いる姿勢はM2以後も現在に至るまで続いています。1990~2000年代には石、木、プラスチック、鉄など様々なものを建材として用いる実験的建築を多く誕生させています。そして徐々に「その地域で手に入る最も安価な建材を最小限の加工で用いる」というスタイルが確立します。
隈氏はバブル期に行った一見無法図な実験を、しっかりとバブル後の設計に生かしています。この辺りがバブル的無責任さを継続する他の建築家を抑えて新国立競技場の設計に選ばれた要因だといえます。ナンコレ度★★
(追記)2019年再訪しました。
「M2」のサインこそ南北両方から見えますが、側面、背面は露悪的なまでにデザインされていません。
背面はともかく側面は車からもよく見えるのに・・・
隈氏はデザイナーとして消費される建築家像に疑問を持っていたのかもしれません。
建物正面向かって右は上部が削られているかのようなデザインが特徴です。
一方全体を車に見立てると、ボンネットのようにも見えます。
一方左側はロシアンアヴァンギャルドのオマージュと言われていますが、機能は全くなく、完全な飾りです。
外装の貼り付けぐらいに反して、内部は異様なまでにかっこいいです。
一階から吹き抜けを見上げたところ。
車の販売所にも、葬儀場にも見えません。
メタリックな内観は強いて言うならロサンゼルスのブラッドベリ―ビル↓のオマージュでしょうか?
こちらは上から見下ろしたところ。運も良かったのでしょうが、メモリードがそのまま活用した気持ちも分かります。
外観からはうかがえない、吹き抜けガラス部のデザイン。
外装はオマージュですが、内装は本気のハイテク建築かも。
メモリードもちゃんと隈氏の建築をアピールしていました。
外観ばかりが注目されますが、意外と機能も高いのかも?
建築図鑑23 露悪的なポストモダン「ドーリック」 – 博司のナンコレ美術体験2018年3月6日 7:55 AM /
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