• 日々観た展覧会や関連書籍の批評をしていきます。

★★★日本にとってアートとは?「アートにとって価値とは何か」

三潴末雄さんの「アートにとって価値とは何か」を読みました。
市ヶ谷にあるミヅマアートギャラリーのオーナーの著書です。所属しているアーティストは会田誠、山口晃、鴻池朋子、池田学、OJUNなどで、現在国内外で大活躍している人ばかり。現在最も勢いのあるギャラリーの一つだと言えます。
本書は三潴さんの半生とミヅマアートギャラリーの約20年の歩みを振り返りながら、日本の現代アートの「価値」について考えるという内容です。
全体を貫いているのが日本的な表現へのこだわりです。日本美術の近代史を俯瞰すると、明治維新以後日本美術は日本画と洋画に別れ、洋画は西洋のキャッチアップをひたすら目指します。戦後は国粋主義の反動から以前にも増して西洋の美術を尊ぶようになりました。三潴さんの上の世代になる70、80年代はセゾン美術館が次々に欧米のアーティストを紹介。それとともに西洋に認められた日本のアーティストを紹介しました。しかしその国内アーティスト(とキュレーター)の多くは西洋へのコンプレックスを丸出しで、極めて植民地意識の強いものでした。
三潴さんは上記の国内アーティストが国内より欧米の評価が高く、欧米によって支えられていることを問題視しました。結果、日本の古美術との連続性を感じられる、土着的なアーティストが三潴さんの周囲に集まるようになります。
会田誠「二次会はつぼ八」(中央)
本書で最も多く参照されているアーティストが同ギャラリー所属の会田誠です。
「二次会はつぼ八」という作品はニューヨークのギャラリーマップに落書きをしたものです。ニューヨークで公開製作中にパーティに参加したことをきっかけにして作られました。欧米のパーティーはワインを飲みながら歓談してすぐ解散、という流れで、クールな欧米スタイルに疑義を申し立てたものです。
会田誠「日本に潜伏中のビン・ラディンと名乗る男からのビデオ」
それ以外にも会田さんはビン・ラディンが平和ボケの日本に感化されてテロをやめる動画作品や、
会田誠「国際会議で演説をする日本の総理大臣と名乗る男のビデオ」

安倍首相が英語ではいくら素晴らしいスピーチをしてもその感動が伝わらないことを怒る動画作品など、日本の特殊事情や欧米中心の社会に対する反発を度々表明しています。

 

会田誠「ジューサーミキサー」

また、前述のニューヨーク公開制作で完成した「ジューサーミキサー」という作品は、イチゴやトマトをミキサーに入れて粉砕される様子を連続写真に撮って製作されました。このように会田さんの作品は即物的で俗物的なモチーフにも関わらず、その描写は異常なまでの拘りを孕んでいます。

 

村上隆「Oval Buddha」

この傾向は村上隆さんと対照的です。村上さんは素材は超一流、製作は外注ですが、会田さんは素材はチープ、製作はアシスタントの技量では満足できず自ら行っています。

森美術館「村上隆の五百羅漢図展」

2人はどちらも森美術館で個展を行いましたが、その内容は対照的でした。村上さんの個展は大量のアシスタントを起用し大規模作品を大量に量産。展示された作品がほとんど2,3年以内の新作ばかりでした。その結果モチーフがいかに多様でも作品はいずれも村上ファクトリーの工業製品で、洗練されていてもイマイチ心に残るものがありませんでした。個人的には昔の村上作品も見たかったのですが・・・

 

森美術館「会田誠展 天才でごめんなさい」

一方会田さんの個展は過去の画業全体を振り返るもので、テーマのふり幅が広すぎるため極めてカオスな展示内容になっていました。放送コードに引っかかるものが大量に存在するため市立美術館でしかできない展示内容でした(実際に抗議が来たが、森美術館は無視したようです)。僕の意見としては展覧会の出来は会田展の圧勝でした。

本書のいたるところで感じるのは三潴さんの上の世代への反発です。この対抗意識が三潴さんの行動原理になっている可能性はありますが、結果として欧米コンプレックスを脱した、欧米と適度な距離を保った日本固有の美術復活に大きく貢献する結果になりました。

インディゲリラ「In Supermarket Veritas」

 

このことは海外アーティストの発掘傾向にも言えます。三潴さんは中国や韓国を避け、東南アジアのアーティストに力を入れています。これは中韓が既に欧米型美術に高度に適応しており、三潴さんの食指が動かなかったからではないでしょうか?

 

ひとりのギャラリストの著書でありながら、思いがけず日本の現代アートの将来を考えさせられる内容でした。また会田誠論としても読み応えがあります。ナンコレ度★★★

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