今回は竹山聖さんのD-HOTEL OSAKAに注目してみました。
竹山聖さんは安藤忠雄さん同様、コンクリート打ちっぱなしにこだわりがある建築家です。代表作もその表現のものばかりです。
竣工時からかなり形が変わっているとはいえ、都心で多くの代表作を見ることができます。特に新宿瑠璃光院白蓮華堂は新宿から徒歩3分の上に見学自由。ホワイトコンクリートを全面的に使った世界的に見てもレアな建築です。
D-HOTEL OSAKAは大阪の難波駅のすぐ北。道頓堀付近、竣工は1889年です。地下2階、地上9階となっています。
写真の真ん中がD-HOTELです。道路に面しているとはいえ非常に細長い土地で、普通なら日本の風物詩、ペンシルビルが建つところです。
この土地にホテルを建てよという無茶な要望。竹山さんの回答は「壁を建てたら終わるような狭い土地なら、壁だけ建てればいい」という逆転の発想(?)でした。
裏から見ると一目瞭然。特に裂け目で別れた小さい方は上階には階段すらない、ただの飾りだったことが分かります。建蔽率500%で9階建てにした結果、このような回答になったようです。
竣工時は地上一階はギャラリーとして解放されており、地下一階がホテルのフロント、2~7階がホテル、8階がバー、9階が展望台だったようです。このように単に商業施設を作るのではなく、市民に貢献する空間を作ろうとする姿勢は、東京のTERRAZZA青山とも共通してます。
図面を見る限り、ホテルは各階2部屋のみだったようです。
特徴的な壁の大きさは30m×30m。壁感を強調するため、竣工時はホテルのサインなどが極力抑えられました。
竣工時には道頓堀との間をふさぐ建物がなく、より壁が効果的に映えていたようです。
現在のD-HOTELはラブホテルが入居しています。コンクリート壁には横断幕が張られ、雰囲気はずいぶん損なわれましたが、一枚壁は健在です。
それより残念なのは、1階に炭焼屋が入居し、解放空間が無くなったことです。当然上階の解放空間もなくなり、都市に対する思想が失われた結果、皮肉にもいかにもラブホテルっぽい建築になってしまっています。
竹山さんの建物を見てると、建物自体を残すことも大変ですが、その精神を残すことのほうがより大変だと感じます。
幸いにも建物の状態自体はきれいなので、時代が変わればまた解放空間が復活するかもしれません。それまではラブホテルや炭焼屋に身を費やすのも道頓堀の建物としてふさわしいのかもしれません。
★建築図鑑90 幻の体験「TERRAZZA 」 – 博司のナンコレ美術体験2019年1月30日 6:13 AM /
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