東京国立博物館(上野)のマルセル・デュシャンと日本美術【2018年10月2日(火)~12月9日(日)】を見てきました。
マルセル・デュシャン(1887-1968)といえば、現代美術好きにとっては最大の巨匠です。
彼の代表作「泉」は専門家500人が選んだ「
その一方で現代美術に関心のない人には全く知名度はなく、上述のピカソやウォーホルなどと比べても知られていません。これはデュシャンの泉や大ガラスなど意味不明の作品がフューチャーされ過ぎ、なんだかよくわからない人というイメージが定着したせいだと思われます。
今回の展示はそのようなデュシャンの全体像は実際どうだったのかということを、デュシャンコレクションで有名なフィラデルフィア美術館の全面協力で解明していきます。
会場構成もデュシャンの写真をふんだんに使っていてなかなかかっこいいです。
展覧会を見たところ、その面白さは①手法の変化②機械と裸婦像③チェスの3つがあると感じました。以下一つずつ見ていきたいと思います。
上述の通り、デュシャンといえば前衛アートですが、展覧会を見ていくとその作品にはもっと広がりがあることに気づきます。その手法は印象派→キュビズム→レディメイド→出版→インスタレーションと次々と変化していきます。上述のピカソなどはデュシャンより長命かつ後世の人物ですが、手法は絵画、彫刻、陶芸ぐらいしかないことを考えると、デュシャンがいかに特異かが分かります。
彼の初期の10,20代のころの作品は、身の回りの風景や人物を描いたものがほとんどです。
画風もモネやセザンヌなど印象派の影響を強く感じます。
のちのトランクの箱などの作品にもこの頃の作品が収録されていることを考えると、彼は初期の作品も自らの血肉として受け入れていたことが伺えます。
これが数年後にはキュビズム風の作品に変化します。彼の有名な絵画作品も多くはキュビズムに分類されます。ものの動きの表現に関心があったようなので、キュビズムの表現にはよく馴染んだのだと思われます。
しかしその後、彼は唯一無二の芸術作品を制作することでの伝達に限界を感じるようになっていきます。
レディメイドの初期作品である「自転車の車輪」はまだ車輪と椅子を金具でつなぐという手間がかけられていますが・・・
のちの瓶乾燥機や泉は既製品にサインをしただけです。
レディメイドとは芸術家がものを選んで展示する部分のみに作品性を見出す考え方です。
所詮人間の手より機械で作った方が効率もいいし精度も高い。それなら人間の創造性とはどこにあるのか?ということを突き詰めて考えた末の手法です。この部分がもっとも後世に大きな影響を与えました。
この考え方をさらに発展させたのが出版活動です。
既製品の提示が芸術なら、量産することが前提の出版ならもっと考えを伝達できるというのは自然な流れです。
この出版活動は今回の展示でかなり力が入っており、既存のデュシャン像を破るものでした。
出版の延長線上にあるのが一連のトランクの箱という作品です。
過去のデュシャンの作品を小さくしてトランクに詰め込み、携帯美術館にするというものです。
ただの縮小コピーではなく、彼は外注でありますが、箱のデザインや色の補正など相当なこだわりを持ってこの事業に取り組んでいます。
この箱シリーズは色んなバリエーションがあり、たとえばこれは大ガラスの製作にあたってのメモをまとめたもの。
これは彼の思索自体が作品になっているともいえ、日本概念派にすら通じる新しい考えでした。
そして最後の「遺作」は来日していませんでしたが、写真や動画で再現されていました。
フィアデルフィア美術館に行かないとみることができない作品で、木製のドア、石膏、ランプ、写真などからなるインステレーション作品です。
美術館のドアの隙間から覗くとポルノが見れるという、最後まで美術という枠組みを笑い飛ばした作品でした。
しかも彼自身が否定した美術作品のオリジナル性に回帰した作品であり、デュシャンが最後まで進化を続けていたことを伺わせます。
空山基氏ではありませんが、機械と裸婦の組み合わせはデュシャンのお気に入りだったようです。
機械文明とキュビズムの関連は絵から読み取れますが、彼はそこから一歩進んで、機械や工業製品そのものを作品化することがよくありました。
有名な階段を降りる女No.2も女性を表現するのに肉体を描くことを半ば放棄していますが・・・
花嫁になると、もはや人体ではなく装置にしか見えません。ジョージ・ローズのパブリックアートを思い浮かべます。女性を臓器だけで表現したものとのことでした。デュシャンには人体も機械のように見えていたのかもしれません。
上述の大ガラスも花嫁や独身者を機械で表したもののようです。
よく見るとそれぞれのモチーフは色んな素材を使って表現されています。
人体表現がどんどん抽象的になっていく過程は見ていて結構楽しめます。
機械以上にデュシャンを惹きつけて止まなかったのがチェスです。
チェス・プレイヤーとして生活していたこともありました。
展覧会のキャプションもチェスが使われてる部分も。
ごく初期の作品からチェスは登場します。初期から最晩年まで、彼にとってチェスとは単なるゲームではなく、哲学的テーマだったのではないかと思われます。
後期にはチェスの解説書やゲーム盤の開発にも携わっています。
チェスの駒や盤であるチェッカー模様もお気に入りだったようで、作品にもたびたび登場します。
特にキュビズム作品はどれもチェス盤みたいな白黒の模様が浮かびます。
一見とっつきにくいデュシャンですが、よくよく展覧会を見ると最後の「遺作」なども含めて意外と茶目っ気がある人だったのかも。また作品の変遷は現代アートの表現を先取りするもので、彼一人の個展で現代アートの歴史を見るような思いでした。★★★
東京国立博物館・フィラデルフィア美術館交流企画特別展 マルセル・デュシャンと日本美術 |
会期 | 2018年10月2日(火)~12月9日(日) |
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開館時間 | 9:30~17:00 ただし、金・土曜日、10月31日、11月1日は21:00まで(入館は閉館の30分前まで) |
観覧料 | 一般1,200(1,000/900)円、大学生900(700/600)円、高校生700(500/400)円 中学生以下無料 *( )内は前売り/ 20名以上の団体料金 *障がい者とその介護者一名は無料です。入館の際に障がい者手帳などをご提示ください。 |
休館日 | 月曜日 ※ただし10月8日(月・祝)は開館、翌9日(火)は休館 |
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